2007年 11月 05日
「ぼくは珈琲が大嫌いです!」其の弐~愛しい人よ、さようなら~ |
其の壱
私の6回目のアタックで、愛しの運子がようやく「コーヒーだけなら一緒に飲んでもいいわ」と言ってくれてから、あまりに待ち遠しくて気が狂いそうになった日々を仕事に打ち込むことによって、何とかやり過ごした。
そして迎えた約束の日曜日の午後。
涙ぐましい努力を重ねてきた私の背中を押しているように、秋の空はどこまでも青く澄んでいた。
私の中では「渋い男は、美味いコーヒー屋を知っているものだ。」が定説だったものの、私自身コーヒーなんて、全く興味が無かったし、どれも同じだろうという人間なので、自称コーヒー通の友人に、巷では美味しいと評判(らしい)のコーヒー屋を教えてもらった。
その店は、幹線道路から路地をひとつ入ったところにあった。
重いドアを開けると、熊よけの鈴みたいな音がして、鼻の下に巨大な毛虫が横たわっているような口ひげを蓄えたマスターと、そのマスターと向かい合うようにカウンターの席に座っていた常連らしき男が、煙草を揺らしながら私たちの方を一瞥した。
狭くて暗く、じめっと湿っぽい空気が、陰鬱な店の雰囲気を助長していた。下見くらいすればよかったと悔やんでみたところで、今の私にはもう自称コーヒー通の友人を信じるしかなかった。
私たちは、窓際のテーブル席に座り、運子は「カフェ・オレ」、私は「ブラジル」を頼んだ。
ブレンドでもよかったけれど、それではコーヒーのことを分かっていないと悟られそうな気がしたので、ストレートの欄の一番上に載っていた「ブラジル」にしたのだ。ブラジルは、間違いなく南米にあるサッカーの強いあのブラジルのことだろう。それ以外のコーヒーの名前については「コロンビア」以外さっぱり分からなかった。
コーヒーを待っている間、私は、前夜予習をしておいた「ルイス・カーンがいかに優れたバランス感覚を持っていたか」について、矢継ぎ早に語ってしまうと、その後は一文字も言葉が浮かんでこなかった。
それでも、そこに不穏な空気は無かった。何故なら、運子は、店内の甘くてほろ苦いコーヒーの香りに酩酊しているようで、静かに目を閉じ、口元にはうっすらと笑みを湛えていたからだ。
話の接ぎ穂を探すべく運子越しにカウンターを見ると、マスターが、ゆっくりとコーヒーにお湯を注いでいた。
ほどなくして運子の「カフェ・オレ」、私の「ブラジル」がやってきた。正しく言えば、「カフェ・オレ」らしきクリーム色の液体と「ブラジル」かと思われる琥珀色の液体の入ったコーヒーカップがやってきた。運子は、仔犬のように鼻腔を小刻みに動かし、カフェオレの匂いを嗅いでいた。私は、砂糖を入れずにひとくち飲んでみる。もちろんこれが「ブラジル」なのか否かなんてさっぱりわからなかったし、美味いコーヒーなのかどうかさえも、私には分からなかった。
それでも私は、違いの分かる男を演じなければならなかった。
それでも私は言わなければならなかった。
「あれっ、これブラジルじゃないな。マスター間違えたのかな?」
こんなことを言っても、運子が私に惚れこむことなど無いだろうが、それでも今、愛しの運子の前で、何かしらのアクションを起こさなければならなかった。「多分これは・・・」私はメニューを横目で再度確認しながらつぶやいた。
「コロンビアじゃないかな、うまく説明は出来ないけれど・・・。まぁ、でもいいか、コロンビアも飲みたいと思っていたし・・・」と続けて言った後、薄く笑んでみた。
運子は目をくりくりと開き、忖度するように私をじっと見ていた。そして、「それはダメよ、替えてもらわないと」と眉根に深い皺を寄せながら力強く言うと、おもむろにカウンターの方へ振り向いて手を上げマスターを呼んだ。
私の背中から一筋の汗が流れると、深い恐怖にひざがガクガクと震え出した。
「どうされました」といいながら、マスターが私たちのテーブルの前まで来ると、私は無意識に立ち上がり、アクション映画のワンシーンのように勢いよく窓ガラスに向かってダイブした。
運子の悲鳴や私の方へ駆け寄ってくる誰かの足音と重なるように、まるで私の恋の終わりを告げる合図のような救急車のサイレンが遠くの方でこだましていた。
私の6回目のアタックで、愛しの運子がようやく「コーヒーだけなら一緒に飲んでもいいわ」と言ってくれてから、あまりに待ち遠しくて気が狂いそうになった日々を仕事に打ち込むことによって、何とかやり過ごした。
そして迎えた約束の日曜日の午後。
涙ぐましい努力を重ねてきた私の背中を押しているように、秋の空はどこまでも青く澄んでいた。
私の中では「渋い男は、美味いコーヒー屋を知っているものだ。」が定説だったものの、私自身コーヒーなんて、全く興味が無かったし、どれも同じだろうという人間なので、自称コーヒー通の友人に、巷では美味しいと評判(らしい)のコーヒー屋を教えてもらった。
その店は、幹線道路から路地をひとつ入ったところにあった。
重いドアを開けると、熊よけの鈴みたいな音がして、鼻の下に巨大な毛虫が横たわっているような口ひげを蓄えたマスターと、そのマスターと向かい合うようにカウンターの席に座っていた常連らしき男が、煙草を揺らしながら私たちの方を一瞥した。
狭くて暗く、じめっと湿っぽい空気が、陰鬱な店の雰囲気を助長していた。下見くらいすればよかったと悔やんでみたところで、今の私にはもう自称コーヒー通の友人を信じるしかなかった。
私たちは、窓際のテーブル席に座り、運子は「カフェ・オレ」、私は「ブラジル」を頼んだ。
ブレンドでもよかったけれど、それではコーヒーのことを分かっていないと悟られそうな気がしたので、ストレートの欄の一番上に載っていた「ブラジル」にしたのだ。ブラジルは、間違いなく南米にあるサッカーの強いあのブラジルのことだろう。それ以外のコーヒーの名前については「コロンビア」以外さっぱり分からなかった。
コーヒーを待っている間、私は、前夜予習をしておいた「ルイス・カーンがいかに優れたバランス感覚を持っていたか」について、矢継ぎ早に語ってしまうと、その後は一文字も言葉が浮かんでこなかった。
それでも、そこに不穏な空気は無かった。何故なら、運子は、店内の甘くてほろ苦いコーヒーの香りに酩酊しているようで、静かに目を閉じ、口元にはうっすらと笑みを湛えていたからだ。
話の接ぎ穂を探すべく運子越しにカウンターを見ると、マスターが、ゆっくりとコーヒーにお湯を注いでいた。
ほどなくして運子の「カフェ・オレ」、私の「ブラジル」がやってきた。正しく言えば、「カフェ・オレ」らしきクリーム色の液体と「ブラジル」かと思われる琥珀色の液体の入ったコーヒーカップがやってきた。運子は、仔犬のように鼻腔を小刻みに動かし、カフェオレの匂いを嗅いでいた。私は、砂糖を入れずにひとくち飲んでみる。もちろんこれが「ブラジル」なのか否かなんてさっぱりわからなかったし、美味いコーヒーなのかどうかさえも、私には分からなかった。
それでも私は、違いの分かる男を演じなければならなかった。
それでも私は言わなければならなかった。
「あれっ、これブラジルじゃないな。マスター間違えたのかな?」
こんなことを言っても、運子が私に惚れこむことなど無いだろうが、それでも今、愛しの運子の前で、何かしらのアクションを起こさなければならなかった。「多分これは・・・」私はメニューを横目で再度確認しながらつぶやいた。
「コロンビアじゃないかな、うまく説明は出来ないけれど・・・。まぁ、でもいいか、コロンビアも飲みたいと思っていたし・・・」と続けて言った後、薄く笑んでみた。
運子は目をくりくりと開き、忖度するように私をじっと見ていた。そして、「それはダメよ、替えてもらわないと」と眉根に深い皺を寄せながら力強く言うと、おもむろにカウンターの方へ振り向いて手を上げマスターを呼んだ。
私の背中から一筋の汗が流れると、深い恐怖にひざがガクガクと震え出した。
「どうされました」といいながら、マスターが私たちのテーブルの前まで来ると、私は無意識に立ち上がり、アクション映画のワンシーンのように勢いよく窓ガラスに向かってダイブした。
運子の悲鳴や私の方へ駆け寄ってくる誰かの足音と重なるように、まるで私の恋の終わりを告げる合図のような救急車のサイレンが遠くの方でこだましていた。
by niagara-cafe
| 2007-11-05 21:00
| ■与太話■
|
Comments(4)
面白かったです!
突然の展開に驚きました。
ヒロインの名前には笑えました。ほんと好きですね~。(笑)
突然の展開に驚きました。
ヒロインの名前には笑えました。ほんと好きですね~。(笑)
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niagara-cafe at 2007-11-06 11:22
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Imagine-Master
at 2007-11-06 21:15
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niagara-cafe at 2007-11-07 10:11
Imagine-Masterさん
全面ガラス張りというのは明るくていいですね!
ダイブしがいがあります(笑
どうでもいいことですが、もともとダイブは、女かと思っていた運子が、実は男で、それを知った私が思わずダイブしてしまった、ということを書くつもりでした。
><
全面ガラス張りというのは明るくていいですね!
ダイブしがいがあります(笑
どうでもいいことですが、もともとダイブは、女かと思っていた運子が、実は男で、それを知った私が思わずダイブしてしまった、ということを書くつもりでした。
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