2007年 03月 10日
珈琲狂婦人の嘆き |
あの人(私の夫です)は、これといった趣味もなく、また、ギャンブルやお酒、タバコも呑まず、休日になると部屋の中で仰向けに寝転び、鼻の穴を指でほじりながら天井のシミを一日中眺め「右から三つ目のピンポン玉大の茶色いやつは、ベートベンの顔に見えはじめたな」とか「今日のシミは、全体的にぼんやりと見えてるから明日は曇りかもしれんな」などと、ぶつぶつと独り言のようにつぶやいている唐変木野郎でした。
それが近所に美味しい珈琲屋さんが出来たときに、「たまには気晴らしにコーヒーでものみに行かない?」と誘うと、あの人は珍しく私の後をついてきました。店内は甘い香りが充満していて、否応なく私の期待を膨らませてきます。そしてその珈琲屋店主さんの勧めるがままにケニア・キリニャガを飲むと、果実のような甘くて仄かな酸味が口の中いっぱいに膨らんできました。それは今まで飲んできたものとは全く別の美味しいコーヒーで、私は目から鱗がこぼれ落ちてくるような錯覚を覚え、あの人もまた、いつもは亀のように眠たそうな目をしているのに、このときばかりは、めいいっぱい眼球を見開き、満足そうな表情を顔に浮かべていました。
その日からです。あの人はコーヒーに、はまりだしました。近所の珈琲屋さんのコーヒーが、あの人のハートに火を点けたのです。コーヒーメーカーから始まって、ネルドリップにいきついた頃になると、網を小さな筒状にした手廻しロースターを購入し、焙煎にまで手を染め始めました。それからというもの休日になると、台所の壁や換気扇は、コーヒー豆の薄皮がこびりつき、部屋の中は煙の燻り臭が取れなくなってしまいました。それでも私は我慢しました。あの人の水を得た魚のように生き生きとした顔を見ていると、とてもじゃないですが止めろとはいえませんでした。しかし肝心なコーヒーの味といえば、草っぽいエグミがあり、クソマズでした。私はそのコーヒーに口をつけたとき、幼い頃近所に住んでいた5歳上のみっちゃんとおままごとをしているときに道端の雑草を無理矢理食べさせられた、という記憶の中から消し去っていた出来事がよみがえってきてしまいました。それでも私は何とか我慢して、美味しいと言いながら、残さず飲み干しました。また、渋味の後に苦味ばかりが舌の奥にいつまでも残るコーヒーを飲んだときには、みっちゃんに石鹸水をレモンジュースだと騙されて飲んだ地獄のような想い出が鮮明によみがえってきました。私は震えがとまりませんでしたが、それでも「美味しいわ、あなた珈琲屋でも始めたら」などといい加減なことをいって、このときも残さず飲みました。
それからあの人はだんだんと付け上がるようになりました。あの店のコーヒーは芯焦げだとか、ここの店のはスカスカでダメだとか、自分のコーヒーは棚に上げて人のコーヒー(それもプロの方のです)の酷評ばかりするようになりました。私はあの人の変わり果てた姿に、これだったら、鼻くそをほじり、お尻を浮かしてスカシっ屁をこきながら、ぼんやりと天井のシミを眺めている方がマシだと思うようになりました。
ある夏の終わりの頃に自治会の寄り合いがあるので、麦茶を大量に作って持っていこうと思い、普段からお茶を沸かしている薬缶だけでなく、あの人のコーヒー専用の薬缶にも「はと麦パック」を放り込んで冷ましていました。するとあの人がコーヒーを飲もうと台所にやって来て、薬缶の蓋を開け、アメフラシみたいな「はと麦パック」をみるなり、目を吊り上げ、唇を尖らせ、顔を真っ赤にして私を罵倒してきました。大声でネチネチとしつこくいつまでもあざけり、罵ってきました。私は次第にあの人が、意地悪で醜いみっちゃんの姿と重なり、また、今まで我慢して付き合ってあげたのに!という不満が怒りとなってこみ上がってきてました。
そして我慢が頂点に達したとき、私は冷ましていた薬缶をあの人に投げつけると、あの人の腹に薬缶が当たり、その反動で股間に熱い麦茶が大量に掛かりました。あの人は、床にのたうちまわって「熱い熱い」と叫んでいるので、私はトドメを刺そうと床に転がっていた薬缶で殴りかかると、あの人はすばやく起き上がり、疾風のごとく押入に逃げ込んで行きました。
私が「出来てきやがれ!」とか「貴様はドラえもんか!」などと怒鳴りながらフスマを蹴りあげるたびに、押入の中であの人は「ヒイヒイ」と悲鳴を上げていました。私はフスマの紙が破れ、桟が折れ、戸の原型が分からなくなくるらいまで蹴り続けてやりました。
そして、それ以来、あの人は休日を押入の中で過ごしています。
以上
「T県T市 F子43歳(主婦)」
それが近所に美味しい珈琲屋さんが出来たときに、「たまには気晴らしにコーヒーでものみに行かない?」と誘うと、あの人は珍しく私の後をついてきました。店内は甘い香りが充満していて、否応なく私の期待を膨らませてきます。そしてその珈琲屋店主さんの勧めるがままにケニア・キリニャガを飲むと、果実のような甘くて仄かな酸味が口の中いっぱいに膨らんできました。それは今まで飲んできたものとは全く別の美味しいコーヒーで、私は目から鱗がこぼれ落ちてくるような錯覚を覚え、あの人もまた、いつもは亀のように眠たそうな目をしているのに、このときばかりは、めいいっぱい眼球を見開き、満足そうな表情を顔に浮かべていました。
その日からです。あの人はコーヒーに、はまりだしました。近所の珈琲屋さんのコーヒーが、あの人のハートに火を点けたのです。コーヒーメーカーから始まって、ネルドリップにいきついた頃になると、網を小さな筒状にした手廻しロースターを購入し、焙煎にまで手を染め始めました。それからというもの休日になると、台所の壁や換気扇は、コーヒー豆の薄皮がこびりつき、部屋の中は煙の燻り臭が取れなくなってしまいました。それでも私は我慢しました。あの人の水を得た魚のように生き生きとした顔を見ていると、とてもじゃないですが止めろとはいえませんでした。しかし肝心なコーヒーの味といえば、草っぽいエグミがあり、クソマズでした。私はそのコーヒーに口をつけたとき、幼い頃近所に住んでいた5歳上のみっちゃんとおままごとをしているときに道端の雑草を無理矢理食べさせられた、という記憶の中から消し去っていた出来事がよみがえってきてしまいました。それでも私は何とか我慢して、美味しいと言いながら、残さず飲み干しました。また、渋味の後に苦味ばかりが舌の奥にいつまでも残るコーヒーを飲んだときには、みっちゃんに石鹸水をレモンジュースだと騙されて飲んだ地獄のような想い出が鮮明によみがえってきました。私は震えがとまりませんでしたが、それでも「美味しいわ、あなた珈琲屋でも始めたら」などといい加減なことをいって、このときも残さず飲みました。
それからあの人はだんだんと付け上がるようになりました。あの店のコーヒーは芯焦げだとか、ここの店のはスカスカでダメだとか、自分のコーヒーは棚に上げて人のコーヒー(それもプロの方のです)の酷評ばかりするようになりました。私はあの人の変わり果てた姿に、これだったら、鼻くそをほじり、お尻を浮かしてスカシっ屁をこきながら、ぼんやりと天井のシミを眺めている方がマシだと思うようになりました。
ある夏の終わりの頃に自治会の寄り合いがあるので、麦茶を大量に作って持っていこうと思い、普段からお茶を沸かしている薬缶だけでなく、あの人のコーヒー専用の薬缶にも「はと麦パック」を放り込んで冷ましていました。するとあの人がコーヒーを飲もうと台所にやって来て、薬缶の蓋を開け、アメフラシみたいな「はと麦パック」をみるなり、目を吊り上げ、唇を尖らせ、顔を真っ赤にして私を罵倒してきました。大声でネチネチとしつこくいつまでもあざけり、罵ってきました。私は次第にあの人が、意地悪で醜いみっちゃんの姿と重なり、また、今まで我慢して付き合ってあげたのに!という不満が怒りとなってこみ上がってきてました。
そして我慢が頂点に達したとき、私は冷ましていた薬缶をあの人に投げつけると、あの人の腹に薬缶が当たり、その反動で股間に熱い麦茶が大量に掛かりました。あの人は、床にのたうちまわって「熱い熱い」と叫んでいるので、私はトドメを刺そうと床に転がっていた薬缶で殴りかかると、あの人はすばやく起き上がり、疾風のごとく押入に逃げ込んで行きました。
私が「出来てきやがれ!」とか「貴様はドラえもんか!」などと怒鳴りながらフスマを蹴りあげるたびに、押入の中であの人は「ヒイヒイ」と悲鳴を上げていました。私はフスマの紙が破れ、桟が折れ、戸の原型が分からなくなくるらいまで蹴り続けてやりました。
そして、それ以来、あの人は休日を押入の中で過ごしています。
以上
「T県T市 F子43歳(主婦)」
by niagara-cafe
| 2007-03-10 21:17
| ■与太話■
|
Comments(6)
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kabosu
at 2007-03-11 00:21
x
久し振りに太宰の文章を読みました。二人とも、サービス精神の固まりのように思います。
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niagara-cafe at 2007-03-11 00:49
kabosuさん
>久し振りに太宰の文章を読みました。二人とも、サービス精神の固まりのように思います。
太宰は女性を主人公にした小説がうまかったですね。太宰治の足元にも及びませんが、かなり影響を受けているようですね。
>久し振りに太宰の文章を読みました。二人とも、サービス精神の固まりのように思います。
太宰は女性を主人公にした小説がうまかったですね。太宰治の足元にも及びませんが、かなり影響を受けているようですね。
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niagara-cafe at 2007-03-11 00:51
まるいちさん
>イタタタタ。反面教師にさせて貰います。
やりすぎるとしっぺ返しがきますから気をつけてくださいね。
>モデルは奥様じゃないですよね?(笑)。
もちろん違いますよ。我慢しているのは確かですが・・・。
>イタタタタ。反面教師にさせて貰います。
やりすぎるとしっぺ返しがきますから気をつけてくださいね。
>モデルは奥様じゃないですよね?(笑)。
もちろん違いますよ。我慢しているのは確かですが・・・。
わーお、胸にずきずきと突き刺さりますね~。
まあ妊婦なのにも関わらず、私が焼いた珈琲があるにも関わらず「私、缶コーヒー飲みたい」っという嫁には関係ないかもしれないが・・・
今年中には缶コーヒーに勝ちたいと思っております。(笑)
まあ妊婦なのにも関わらず、私が焼いた珈琲があるにも関わらず「私、缶コーヒー飲みたい」っという嫁には関係ないかもしれないが・・・
今年中には缶コーヒーに勝ちたいと思っております。(笑)
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niagara-cafe at 2007-03-13 07:27
HCさん
奥様のご懐妊おめでとうございます!
>私が焼いた珈琲があるにも関わらず「私、缶コーヒー飲みたい」っという嫁には関係ないかもしれないが・・・
あぁ、これどこも同じですね。焙煎に失敗した珈琲はミルクで割ってもなかなか飲むのは辛いですね。でも缶コーヒーの珈琲と砂糖とミルクの風味の隙間には薬のような変な苦味がありますから、そのあたりのことを言い張って、粘り強く説得すれば飲んでくれるかもしれませんよ。まぁ逆に薬みたいだったら体によいではないか!と切替されたら、もう打つ手はありませんが(笑
奥様のご懐妊おめでとうございます!
>私が焼いた珈琲があるにも関わらず「私、缶コーヒー飲みたい」っという嫁には関係ないかもしれないが・・・
あぁ、これどこも同じですね。焙煎に失敗した珈琲はミルクで割ってもなかなか飲むのは辛いですね。でも缶コーヒーの珈琲と砂糖とミルクの風味の隙間には薬のような変な苦味がありますから、そのあたりのことを言い張って、粘り強く説得すれば飲んでくれるかもしれませんよ。まぁ逆に薬みたいだったら体によいではないか!と切替されたら、もう打つ手はありませんが(笑