2007年 01月 29日
「ぼくは珈琲が大嫌いです!」其の壱~友人Kの苦い思い出~ |
当時付き合い始めた彼女と近県の遊園地へ向かう道中のことだった。
季節は冬だというのに、車のフロントガラスから射し込んでくる柔らかな陽光が、ぼくの眠気を誘ってきた。人間にとってこの世で一番気持ちよいのは、臨死状態で幻覚を見ているときだ、と誰かが言っていたが、今このまま、柔らかくて暖かな布団にもぐり込みながらまどろむこと以上の快楽をこのときのぼくに想像することは出来なかった。
時刻は既に正午を回っていたので、眠気覚ましに昼食を取る手段もあるのだろうが、ぼくの寝坊の所為で大幅に遅れてしまった時間を取り返したいという思いがあったし、満腹後には完全に目を閉じ、暗い深淵の中を彷徨う羽目になりそうな勢いだったので、遊園地に到着するまで昼食は我慢しようと、ぼくは、彼女の了解も得ずに勝手に決めてしまった。
しかし、FMラジオから13時の時報が流れると、助手席に座ってぼくのジョークにいちいち反応していた彼女から笑みが消え、代わりに能面のような顔が浮かんでくると、車内は一変して、冷たい緊張感と、重い沈黙に包まれ、空気は澱み、腐敗臭が周囲に漂いはじめていた。それでも、ぼくはそんな沈黙の中で益々凶暴になっていく睡魔と戦わなければならなかった。顔を左右に振ったり、窓を開け新鮮な空気を取り入れたりして、何とかやり過ごしていると、彼女が面倒臭そうに口を開いた。
「貴様は腹が減っていないのか?」と、さっきまでのソフトで天然色的な口調とは打って変わって、低く湿った含み声で言った。彼女の眉根には深い陰翳が刻まれていた。
「満腹になると睡魔が襲ってきそうだったから、メシは遊園地に着いたら食べようかと。」 と努めて明るい声でぼくがいうと、彼女はいきなり、ぼくの鼻頭に向け「シュシュ」といいながら鋭いジャブを数発打ち込んできた。そして「わしは腹がすいとんじゃ!」と怨念に満ちた目でぼくをにらみ叫んだ。
ぼくは驚きと共に戦慄が走り、慌てて目に飛び込んできた喫茶店の駐車場に車を滑らせた。
店内に入ると、チーズやらトマトやらの食欲をそそる芳醇な匂いがしてきて、ぼくの胃袋をたちまち刺激しはじめた。メニューを凝視し選んでいると
「貴様はこの後も眠くなるといけないから、珈琲だけだゾ!」などと、彼女は鼻から空気を漏らし阿呆のような声で言った。
「またまたご冗談を」といいながら彼女を見ると、シニカルな表情でぼくを凝望し、アントニオ猪木張りに握りこぶしを震わせていた。
ぼくは仕方なくブレンド珈琲だけを頼んだ。
まわりからは、カップルたちの明るくて楽しそうな笑い声が聞こえてきて、それが屈辱と成りぼくのひび割れた心の中に刷り込まれていった。
暫くして彼女の頼んだパスタとぼくのブレンド珈琲が来ると、彼女はぼくの方に一瞥することもなく美味しそうにそれを頬張った。ぼくは空腹感を充たすために、珈琲の中に大量の砂糖を入れた。酸味の中に仄かな甘みを含んだ美味しそうなトマトソースの香りがぼくの鼻をくすぐり、体を包み始めると、唾液と共に悔しさと怒りが湧き上がってきて、ついに我慢が臨界点に達し、ぼくはあてつけのようにスプーンで珈琲をすすった。店内中に響き渡るように大きな音をたててすすった。彼女はびっくりしたような顔をして、「止めなよ」と小声で言った。それでもぼくは止めなかった。それどころか彼女の方をじっと見つめながら、更に大きな音をたてて珈琲をすすったのだ。彼女の顔がみるみる赤くなるのが分かった。ウェイトレスがカウンターの袖から息を呑んでぼくを見ていた。彼女の後ろの席に座っている男と目が合うと、彼は苦笑いを浮かべた。ぼくは懇親の力を込めて甘ったるい珈琲をすすり続けたのだ。すると彼女は突然、ぼくの顔に手のひらを伸ばし、そのままアイアンクローをかけてきた。頭の中に激痛が走る。ぼくはそれでも負けじと珈琲をすすり続けた。このときのぼくには、世界が終わったとしてもすすり続ける勢いがあった。フリッツ・フォン・エリック張りの彼女の鉄の爪が、ぼくのこめかみに食い込んでいくのがわかった。頭の中で頭蓋骨がみしみしときしむ音が響き渡った。それでもぼくはすすり続けた。強く激しく!仮往生の中で、薄れ行く意識の中で力一杯に!店内には彼女の金切り声と、ぼくの珈琲をすする音とが響き渡っていた。まるで生きている証のように!この勢いは、もう誰にも止められなかった。
次第に彼女の絶叫が小さくなっていくと、突然、目の前が眩しいくらいに輝いた。すると、今まで感じたことのない心地よい風が、ぼくの体全体を包み込んできたのだった。
季節は冬だというのに、車のフロントガラスから射し込んでくる柔らかな陽光が、ぼくの眠気を誘ってきた。人間にとってこの世で一番気持ちよいのは、臨死状態で幻覚を見ているときだ、と誰かが言っていたが、今このまま、柔らかくて暖かな布団にもぐり込みながらまどろむこと以上の快楽をこのときのぼくに想像することは出来なかった。
時刻は既に正午を回っていたので、眠気覚ましに昼食を取る手段もあるのだろうが、ぼくの寝坊の所為で大幅に遅れてしまった時間を取り返したいという思いがあったし、満腹後には完全に目を閉じ、暗い深淵の中を彷徨う羽目になりそうな勢いだったので、遊園地に到着するまで昼食は我慢しようと、ぼくは、彼女の了解も得ずに勝手に決めてしまった。
しかし、FMラジオから13時の時報が流れると、助手席に座ってぼくのジョークにいちいち反応していた彼女から笑みが消え、代わりに能面のような顔が浮かんでくると、車内は一変して、冷たい緊張感と、重い沈黙に包まれ、空気は澱み、腐敗臭が周囲に漂いはじめていた。それでも、ぼくはそんな沈黙の中で益々凶暴になっていく睡魔と戦わなければならなかった。顔を左右に振ったり、窓を開け新鮮な空気を取り入れたりして、何とかやり過ごしていると、彼女が面倒臭そうに口を開いた。
「貴様は腹が減っていないのか?」と、さっきまでのソフトで天然色的な口調とは打って変わって、低く湿った含み声で言った。彼女の眉根には深い陰翳が刻まれていた。
「満腹になると睡魔が襲ってきそうだったから、メシは遊園地に着いたら食べようかと。」 と努めて明るい声でぼくがいうと、彼女はいきなり、ぼくの鼻頭に向け「シュシュ」といいながら鋭いジャブを数発打ち込んできた。そして「わしは腹がすいとんじゃ!」と怨念に満ちた目でぼくをにらみ叫んだ。
ぼくは驚きと共に戦慄が走り、慌てて目に飛び込んできた喫茶店の駐車場に車を滑らせた。
店内に入ると、チーズやらトマトやらの食欲をそそる芳醇な匂いがしてきて、ぼくの胃袋をたちまち刺激しはじめた。メニューを凝視し選んでいると
「貴様はこの後も眠くなるといけないから、珈琲だけだゾ!」などと、彼女は鼻から空気を漏らし阿呆のような声で言った。
「またまたご冗談を」といいながら彼女を見ると、シニカルな表情でぼくを凝望し、アントニオ猪木張りに握りこぶしを震わせていた。
ぼくは仕方なくブレンド珈琲だけを頼んだ。
まわりからは、カップルたちの明るくて楽しそうな笑い声が聞こえてきて、それが屈辱と成りぼくのひび割れた心の中に刷り込まれていった。
暫くして彼女の頼んだパスタとぼくのブレンド珈琲が来ると、彼女はぼくの方に一瞥することもなく美味しそうにそれを頬張った。ぼくは空腹感を充たすために、珈琲の中に大量の砂糖を入れた。酸味の中に仄かな甘みを含んだ美味しそうなトマトソースの香りがぼくの鼻をくすぐり、体を包み始めると、唾液と共に悔しさと怒りが湧き上がってきて、ついに我慢が臨界点に達し、ぼくはあてつけのようにスプーンで珈琲をすすった。店内中に響き渡るように大きな音をたててすすった。彼女はびっくりしたような顔をして、「止めなよ」と小声で言った。それでもぼくは止めなかった。それどころか彼女の方をじっと見つめながら、更に大きな音をたてて珈琲をすすったのだ。彼女の顔がみるみる赤くなるのが分かった。ウェイトレスがカウンターの袖から息を呑んでぼくを見ていた。彼女の後ろの席に座っている男と目が合うと、彼は苦笑いを浮かべた。ぼくは懇親の力を込めて甘ったるい珈琲をすすり続けたのだ。すると彼女は突然、ぼくの顔に手のひらを伸ばし、そのままアイアンクローをかけてきた。頭の中に激痛が走る。ぼくはそれでも負けじと珈琲をすすり続けた。このときのぼくには、世界が終わったとしてもすすり続ける勢いがあった。フリッツ・フォン・エリック張りの彼女の鉄の爪が、ぼくのこめかみに食い込んでいくのがわかった。頭の中で頭蓋骨がみしみしときしむ音が響き渡った。それでもぼくはすすり続けた。強く激しく!仮往生の中で、薄れ行く意識の中で力一杯に!店内には彼女の金切り声と、ぼくの珈琲をすする音とが響き渡っていた。まるで生きている証のように!この勢いは、もう誰にも止められなかった。
次第に彼女の絶叫が小さくなっていくと、突然、目の前が眩しいくらいに輝いた。すると、今まで感じたことのない心地よい風が、ぼくの体全体を包み込んできたのだった。
by niagara-cafe
| 2007-01-29 23:14
| ■与太話■
|
Comments(10)
Commented
by
Monk
at 2007-01-30 00:03
x
これだけ書けばマニア心は満足したでしょうな・・・・
http://www.asahiinryo.co.jp/wonda/070109_cp/popup.html
これは僕も欲しい。長州力が。
http://www.asahiinryo.co.jp/wonda/070109_cp/popup.html
これは僕も欲しい。長州力が。
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ナイアガラさん!どんどん文章上手に成っていませんか?!
面白かったです!
面白かったです!
これ、小説ですか?よく分からないけど面白かったです。
ちなみに、わたしもお腹すくとキゲン悪いです(笑。
最近はちょっとよくなりましたけど。
低血糖症らしいです。血糖調整がうまく行ってなくて、
お腹すくと血糖値が下がりすぎてキゲンが悪くなるらしいです。
ちなみに、わたしもお腹すくとキゲン悪いです(笑。
最近はちょっとよくなりましたけど。
低血糖症らしいです。血糖調整がうまく行ってなくて、
お腹すくと血糖値が下がりすぎてキゲンが悪くなるらしいです。
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by
niagara-cafe at 2007-01-30 07:03
Monkさん
一年前だったら、モーニングショットを買いまくっていたと思います。
ちなみにぼくは、シンか山本小鉄が欲しいです。
少年時代だったら多分、猪木か長州だったと思います。
当時、プロレスごっこなどで、すぐムキになってドラゴンスリーパーを
仕掛けてくる先輩がいたこともあり、藤波氏はあまり欲しくないデス(笑
一年前だったら、モーニングショットを買いまくっていたと思います。
ちなみにぼくは、シンか山本小鉄が欲しいです。
少年時代だったら多分、猪木か長州だったと思います。
当時、プロレスごっこなどで、すぐムキになってドラゴンスリーパーを
仕掛けてくる先輩がいたこともあり、藤波氏はあまり欲しくないデス(笑
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niagara-cafe at 2007-01-30 07:09
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niagara-cafe at 2007-01-30 07:11
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niagara-cafe at 2007-01-30 12:19
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torimie at 2007-02-02 01:21
一気に読み進めました。どういう展開になるか、おもしろかったです。
次回作も期待値UPです。
次回作も期待値UPです。
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niagara-cafe at 2007-02-02 05:32